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公益財団法人市民防災研究所 公式ブログ

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【現地調査報告】令和元年新潟・山形地震(1)新潟県村上市・山形県鶴岡市

令和元年6月18日(火)午後10時22分、山形県沖を震源とするマグニチュード6.7の地震が発生し、震源地に近い新潟県村上市で震度6強、山形県鶴岡市では震度6弱の激しい揺れを観測しました。また、地震直後に山形県から石川県の日本海沿岸に津波注意報が発表され、新潟で最大10センチの津波が観測されました。

当研究所では6月23日(日)と24日(月)の2日間、激しい揺れに見舞われた新潟県村上市と山形県鶴岡市の現地調査を行いました。

(1)新潟県村上市府屋地区

屋根瓦の被害が目立ちました。住民の方に地震直後の状況をお聞きすると、津波で避難する人がいる一方で、津波ではなく地震の揺れが怖くて避難した家族や孫には念のため避難を促したものの自分は津波注意報程度では避難しなくても大丈夫と避難しなかった高齢者もいました。

傾いているブロック塀と傾いていないブロック塀が並んでいました。控え壁があるブロック塀(左)は傾いてなく、控え壁がないブロック塀(右)は傾いていました。

住民によると、昔海で埋められたところの建物被害が目立つと言います。

避難所となった山北総合体育館の敷地内では、のり面が崩れていました。

応急危険度判定と被害認定調査が行われ、結果などが貼り出してありました。応急危険度判定の紙には「落下物注意」と注意を促す紙をさらに貼っていました。

標高表示板
標高表示板(村上市山北支所)

(2)山形県鶴岡市小岩川地区

応急危険度判定

小岩川駅周辺で屋根瓦の被害が集中していました。当日は、市が依頼した地元の建設業協会が先週張ったブルーシートの補修をしたり、屋根瓦の回収などをしていました。

被害をまとめた住宅地図(屋根瓦の被害があった建物を青色に着色している)

地元の小岩川自治会では、公民館前にテントを張って対策本部を設置していました。本部には、住宅地図に被害のあった建物を着色して被害情報をまとめ、建設業協会の会社ごとに担当エリアを指示したり、災害ボランティア活動の把握などをしていました。

◆日頃の訓練が生きて地区内の住民全員が高台に避難!

本間自治会長に地震直後の状況についてお話を伺いました。

地震直後、約400人の住民は地区内の3つの避難場所にそれぞれ避難し、組長が避難場所で点呼をとり、午後11時すぎには地区内の住民全員の避難が完了したことを確認したそうです。

避難するとき足腰の悪い高齢者などは、両脇を支えたりおんぶしたりと、隣近所で支え合って避難しました。

この地区では百何十年前に大きな火災があり、火災があった12月3日を集落では火災記念日として、毎年11月下旬に自治会と消防団が連携した火災防ぎょ訓練を行っていました。東日本大震災後は、地震・津波避難訓練を新たに実施し、火災と津波を想定した訓練を交互に行っていました。

この地区では「揺れが収まったらすぐ高台に逃げる」意識があったことで、訓練どおりに避難することができたと話していました。

また、地震直後この地区は停電しました。一旦避難場所に避難した後、役員は公民館に来て津波が来るのが見えるようにと、発電機を使ってサーチライトで海側を照らしました。

津波注意報が解除された後は、それぞれ自宅に帰宅しましたが、住民1人が家財が散乱して自宅で寝ることができず公民館に避難し、役員も一緒に泊まりました。

明るくなってからは高台から地区全体を見渡し、屋根瓦の被害が甚大であることを確認して、市役所にブルーシートとまたい(土のう袋)の確保を要請するなど、模範的な自主防災活動が展開され今も活動は続いています。

◆災害ごみ仮置き場

地区内の広場に、災害ごみの仮置き場が設置されていました。金属くず、木くずなど分別して置くようになっていました。当日はボランティアの高校生が、リサイクルできるものとできないものとの分別作業をしていました。

雨漏りによって濡れた畳みなどがごみとして出されていて、屋根瓦が被害を受けると雨漏りにより被害が拡大することがよくわかりました。

(3)山形県鶴岡市液状化被害

地元の人によると、駅前の液状化被害は、駅周辺が液状化しやすい地質ということではなく、ジャスコ跡地で地下を解体したときの埋め戻しで砂利層が薄く土砂が多くて生じた液状化という話を聞きました。

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 - 被災地調査

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