籏野次郎(1911~1997)は11才で関東大震災に遭遇し、それ以来、二度とあのような悲劇を繰り返さないためにはどうしたらよいかという思いが片時も脳裏を離れず、いろいろな工夫を続けてきました。
“たったひとつしかない大切な命は守った人だけが守れる”という教訓から身のまわりにあるものを活用して、だれにでもできる防災対策を次々と考案しました。
さらにこの成果は専門家の教えを乞い、実効性を確認した上で、多くの市民に機会を捕らえて普及しました。
その飽くなき探究は、86才で世を去るまで続けられました。
息子の籏野繁(1939~1998)は父親の寝食も忘れるぐらい真摯な研究態度と市民防災に賭ける思いに心を打たれ、常に父親の傍にいて研究や普及の手助けをしていました。
また、地震、火災といった災害が発生すれば国の内外を問わず直ちに現場に赴き、市民の目線で災害を見据え、そこから多くの教訓を学び取りました。災害現場で得た教訓は直ぐに父親の研究に活かされ、その成果を二人で競って普及するという行動は、しだいに多くの消防・防災機関や研究者の支援・協力を得られるようになり、(財)市民防災研究所の発展につながりました。亡くなった父親のかけがえのない後継者として期待された息子繁は、まるで父親の後を追うようにして、59才でこの世を去りました。
“市民防災に生涯を賭けた二人の思いをいつまでも灯し続けて行きたい”これが残された所員一同の願いです。
籏野 次郎Jiro Hatano
所長
はたのじろう(1911-1997)
東京・下谷に生まれる。1972年、私費を投じて避難研究所を設立した。1981年、財団法人市民防災研究所に改組し、所長として運営・研究と普及に超人的な活躍をし、生涯を市民防災にささげた。
籏野 繁Shigeru Hatano
副所長
はたのしげる(1939-1998)
東京・台東区に生まれる。父とともに避難研究所を設立、市民防災研究所に改組後も副所長として父の活動を支援し、研究所の発展に貢献した。